事件ファイルー1

一本の電話で10名様の予約を久々にいただき、玄関でお出迎え、しようとしたら

若い男性がヴァギーカーを突然旅館わきの川に投げ捨て!!驚きですが、もう遅い!このお客様ご一行は暴力○のファミリーと咄嗟にわかりスタッフ全員に緊張が走りましたが先頭の「姉さん」らしき方が丁寧に「よろしくね!」。その日の宴会も無事に済み深夜、フロントに電話が。親方の部屋です。「ちょっと来てくれ!」私は即座に出向きドアをノックし「何かございましたか?」と尋ねるや否や、カップ麺を差し出し、お前くってみろ!酸っぱいだろ!!明日この会社に電話入れて俺に報告くれ!まぁおまえんとこじゃないけどなぁ。私はそのカップ麺を大切に持ち帰り社長に一口!支配人、「酸っぱい」。あした連絡してあげて!了解。その晩は静かに終わりましたが!?

本日投稿2回目、この先を考えると私、社長、旅館の紹介を少しさせていただきたく書かせていただきます。

小生65歳既婚バツイチ息子一人現在ちっちゃな食堂経営、初めての就職先は母の紹介で下町のこじんまりした旅行会社(当時は観光や、なんて、呼ばれていました)ですがここが大変な旅行会社であることは後々しりました。私は入社してすぐ「プロが選ぶ全国ホテルランキングトップテン」の選考にあたり私がその意味さえ分からず全国各地のお宿にランキングを伝え、その選考会はすぐ私の脇で始められており後々知ってびっくり。従業員10名程度の旅行やさんなんですよ!又関東でも一番最初にバスの前に旗をつけ募集旅行をスタートさせた会社のようでした。

社長のこと:今もって私には理解不能な神秘的な人物です。彼は築地に勤務、強引に父親に家業を継げと言い渡され泣く泣くいやいや旅館のオーナーに。確か当時37~8歳既婚全くのサービス業知らずのはず!そんな彼の言動は予億できず逆に私たちは振り回されでも最後は勉強、感動の連続でした。

お宿のこと 当時築10年目?の宿で客室15室2階建て、川に面し1階は貴賓室「12畳+6畳」中庭付きが2室、2階は「3間に分かれた24畳」の角部屋の貴賓室1つと二間続き18畳の貴賓室が1つ、8畳、10畳の和室が4つ、なぜかツインの洋室が5つつ。どうにも使いずらい部屋ばかり、大浴場、遊戯室、宴会場は1階駐車スペースは50台程あり私には理解不能なお宿でした。調度品や造りがすごかったのか?よく畳職人や宮大工さんまで見学に来ておりましたが、お客様がいらっしゃらない以上何がすごくても関係ないと私も社長も常々おもっておりました。

スタッフ紹介:ペルー人1人、青じいとよばれていたおじいさんが1人仲居3人調理人らしきひと1人、かたずけの近所のおばちゃん2人、社長、当時の支配人、とひょっこり入った私でした。そのときの支配人も私と入れ替わるようにやめ10名全員素人でスタートしました。全員アルバイト、給料分割、全員肩書無し!社長も館内では社長と呼ばないで!なんて言い始め私は?と尋ねると自分で肩書きめて名刺作って!でした?。このお宿を「渓谷荘」と呼んでおきます。次回からは前置き無しに現場突入いたします。

有難うございます。

七重苦!崖っぷち旅館からの奇跡の復活!!

15年間に及ぶ復活の実体験を多くの人に明日への活力になればと思い10年間温めて参りましたが今日から書きつずってみます。全ての方に送ります。今日はその旅館の紹介をさせていただきます。大復活は遂げましたが最後は他の会社に買い取っていただきました。七重苦、それは「お金ない:負債5億」、知名度無し、板前なし、スタッフ全員素人、温泉場なのに当館だけ温泉が出ていない、露天ブームなのに露天風呂無し、アクセス最悪、結局⇒お客様なし!!唯一誇れたのは当時15億円かけて山を切り開き接客用として建設されたこの収容60名の旅館。即刻つぶれ当時のオーナーが金融機関にそそのかされ買い取ったわけでした。お客様は無し、経費は掛かる、お金は無し、そんな旅館に私は何にも知らず飛び込んだのが40歳でした。奇跡のエピソード、震えが止まらないほどの恐怖事件、感動の一幕、大泣きして大笑いして最後はリピート率80%の「じゃ○ん」の口コミも加盟して確か3年目で4.8P宿泊料金は最高で12000円だったかと思います。当時県内もとより関東でもこの低価格で好ポイントを取っているお宿はありませんでした。このさきのスリリングなストーリーをお楽しみください。有り難うございます。