本日投稿2回目、この先を考えると私、社長、旅館の紹介を少しさせていただきたく書かせていただきます。

小生65歳既婚バツイチ息子一人現在ちっちゃな食堂経営、初めての就職先は母の紹介で下町のこじんまりした旅行会社(当時は観光や、なんて、呼ばれていました)ですがここが大変な旅行会社であることは後々しりました。私は入社してすぐ「プロが選ぶ全国ホテルランキングトップテン」の選考にあたり私がその意味さえ分からず全国各地のお宿にランキングを伝え、その選考会はすぐ私の脇で始められており後々知ってびっくり。従業員10名程度の旅行やさんなんですよ!又関東でも一番最初にバスの前に旗をつけ募集旅行をスタートさせた会社のようでした。

社長のこと:今もって私には理解不能な神秘的な人物です。彼は築地に勤務、強引に父親に家業を継げと言い渡され泣く泣くいやいや旅館のオーナーに。確か当時37~8歳既婚全くのサービス業知らずのはず!そんな彼の言動は予億できず逆に私たちは振り回されでも最後は勉強、感動の連続でした。

お宿のこと 当時築10年目?の宿で客室15室2階建て、川に面し1階は貴賓室「12畳+6畳」中庭付きが2室、2階は「3間に分かれた24畳」の角部屋の貴賓室1つと二間続き18畳の貴賓室が1つ、8畳、10畳の和室が4つ、なぜかツインの洋室が5つつ。どうにも使いずらい部屋ばかり、大浴場、遊戯室、宴会場は1階駐車スペースは50台程あり私には理解不能なお宿でした。調度品や造りがすごかったのか?よく畳職人や宮大工さんまで見学に来ておりましたが、お客様がいらっしゃらない以上何がすごくても関係ないと私も社長も常々おもっておりました。

スタッフ紹介:ペルー人1人、青じいとよばれていたおじいさんが1人仲居3人調理人らしきひと1人、かたずけの近所のおばちゃん2人、社長、当時の支配人、とひょっこり入った私でした。そのときの支配人も私と入れ替わるようにやめ10名全員素人でスタートしました。全員アルバイト、給料分割、全員肩書無し!社長も館内では社長と呼ばないで!なんて言い始め私は?と尋ねると自分で肩書きめて名刺作って!でした?。このお宿を「渓谷荘」と呼んでおきます。次回からは前置き無しに現場突入いたします。

有難うございます。